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text = 岡田 智博  info@creativeclsuter.jp

2008年秋から始まった地球規模の経済危機は、クリエイティブ経済時代の富の象徴であった現代アートのマーケットをもろに飲み込んでいった。それまで右肩上がりの伸びを見せていたアートオークションにあって、有名な作家の作品や歴史的遺物であろうが落札率は急低下、出せば次から次へと売れる勢いであった現代アートマーケットにおいてもなかなか売れないという事態が世界を包んだ。

4月、集中的に東京においてアートマーケットが開催されるこの月は、日本におけるアートマーケットのシーズンとして定着しつつある。
アートマーケットのシステムが確立した欧米、そして、現代美術が富のステータスとして定着したアジア、その中において歴史的に大衆文化が中心に存在し、現代美術への関心が薄い日本において、アートマーケットは比較するとあまり盛んな状況ではなく、アートマーケットを育ててゆくこと自体がつい最近まで大変であった。失われた10年とよばれた時代(そのまま失われた時代のままのようにもみえるが)には、銀座の画廊は老舗であっても、路面から撤退し、ビルの上層階に移らないといけない状況にまで追い込まれる側面も存在していた。
それがニューエコノミーの反映として、今世紀に入り現代アートマーケットが世界規模で急成長を見せるとともに、その波はやっと東京にも押し寄せ、始まった当初はクオリティの高い参加画廊を募るのが大変であった日本最大のアートマーケット「アートフェア東京」においても、レベルの足切りや参加ウエイティングリストまで起こるまでになり、若手作家を扱う新たな画廊と海外のギャラリーの東京市場への進出意欲の高まりはエマージングなギャラリーを扱う新たなアートマーケット「101東京コンテンポラリーアートフェア」を秋葉原に産むまでに昨年高まっていった。
それが経済危機によって大きな影響を被ることとなった。

しかし、それはまるで地球規模のクライシスを前に、恐竜にかわり哺乳類が跋扈する隙間ができたような、新たなチャンスをメディアアートに与えたようなのである。

メディアアートがアートマーケットにデビュー

経済危機によって生まれた底無しの不況感は現代芸術のマーケットをもろに直撃しているかのようであった。この4月の東京におけるアートマーケットに出展するギャラリーの多くは出店規模を縮小し、出展者を集めることに苦労するマーケットも生まれた。その間隙を縫って、メディアアートがアートマーケットにデビューするという快挙が生まれている。
これまでの加熱する足切りとウエイティングリストの状況では生まれ得なかったチャンスをメディアアートが獲得した瞬間である。

101TOKYOでの「アジアグラフ」ブース秋葉原で開催されたエマージングな現代芸術ギャラリーの出展を扱う「101東京コンテンポラリーアートフェア」その中において、静止画CGアートの時代からCGアートの普及を展覧会を中心に続けてきたアートイニシャチブ「ASIAGRAPH」が独自のブースを構えることに成功した。
扱う作品は日本とアジアの「ASIAGRAPH」参加CG作家によるもので、ほとんどは静止画CG作品、それに映像や着物などCGアートらしい可能性を見せられる作品を網羅して出店に臨んだ。
このことがなぜ快挙かといえば、いわばメディアアートがアートマーケットにおいて価値ある存在(グローバルなコレクターによって資産価値のあるものとして売買される存在)であることは、世界のアートワールドにおいてはとても難しいことだからである。現代美術として価値を見出されたメディアアートは、メディアを用いたメディアアートの作品として昇華して行く中で、メディアアートそのものは常にアートワールドの中の周縁、それもデザインやファッションよりも遠い周縁に存在するしかないのである。アートワールドの視点からメディアアートを求めるコレクターは、世界に6人しかいないとまで言われており、メディアアートを専業で扱うギャラリーは現代美術としての価値を創出しうる力を持ったニューヨークの「bitforms」のほかは皆無であるとまでされている。
「ポストペット」や一人乗りの飛翔体をつくるプロジェクトで知られる八谷和彦から社会に対して挑戦的なビデオアート作品群でお騒がせのChim↑Pomまでメディア性の高い作品を扱っていることで異彩を放つギャラリー「無人島プロダクション」、VJ活動がアートとして昇華している宇川直宏など同じくメディア性の高い作品を扱う「NANZUKA UNDERGROUND」といった東京においてエマージングで元気なギャラリーもアートマーケットでは、絵画や写真、立体など、現代美術として商材足りえる作品のみを出展しディールしている。それだけ、メディアアートは周縁であり、難しいのである。
その中にあってメディアアートのチャンスは、日本最大の現代美術マーケット「アートフェア東京」でも垣間見ることができた。

アートフェア東京2009での「フォトモ」の展示写真を組み合わせることで立体のパノラマ世界を箱庭のように現出させる、糸崎公朗オリジナルのメディアアートインスタレーションである「フォトモ」が、四国丸亀のgallery ARTE によって出展された。
「フォトモ」は前世紀より日本ならではのポップなメディアアートとして知られており、既に様々な作品集や「子供の科学」「デジカメWatch」などで連載中でもある。このように好事家によって世に知られ、評価を受けながらも、現代アートとしてマーケットに並ぶことのなかった良質のメディアアートが遂に表に並ぶようになったのである。

これらメディアアートが日本におけるメジャーなアートマーケットのシーンに登場することが出来たのこそ。今の金融危機の困難による現代芸術の衰えの間隙であるということができる。数多くのギャラリーが経営上の理由により、アートマーケットへの出展を見合わせる中、通常ならコレクターを引き寄せる市場形成力がないということから予備選考で撥ねられるであろう「ASIAGRAPH」に出展スロットが生まれる隙間が生まれたこと。そして、今までならまさにマーケットとして「高く簡単に売れる」資産価値が形成出来る絵画や彫刻を前面に出してきたであろう画廊が敢えて、新たにコレクターに知ってもらいたい存在としてメディアアート作品を紹介するのは、今が投機家を誘う市場の季節ではなく、本当にアートを愛し手に入れたい人々に対してマーケットを開ける時期ではないかというギャラリーの考えが表れたのではないかとも見て取れる。
実際にこのようなメディアアートのケースだけでなく、作品として興味深かったり、欲しくなるようなものなのだが、それを持つことは資産にはならないだろう現代アートが会場で老舗や有名どころ程、様々にディールされていたのが、一方でまさにこの時期だからチャンスとして枠を得た新興ギャラリーの多くがコレクターが手に入れやすい絵画作品で勝負するのと対比して、印象的であった。

本当にメディアアートが市場の表舞台にたつために

それでも残念でならないこともあった。
せっかく日本におけるメジャーなアートマーケットに登場した「ASIAGRAPH」なのであるが、商いとしてのアートマーケットへの道への工夫が必要であった。額装のほとんどは発泡スチロールパネルの貼り込み、手の込んだ額装はまるで街角の額縁屋の額縁メインで中身はサービスに表れるような仕上がり、これではメジャーなアートマーケットにおける現代美術の意義である「資産としてのアート」(だから文化史的価値としての「アートワールド」という概念が大事にされる)というモチベーションが崩れてしまう。
これではいくらエディション(数量限定制作)を前面に出しても、そのエディションのひとつが既に安っぽいハレパネであり、そもそも疑わしいのではないかという疑念を持たれてしまって残念なのではないのだろうか。
ここは現代美術の先輩で、既に大きな価格形成力を持っている、フォトアートの分野における作品の仕上げ方やマーケットとしての演出方法から学ぶ点が多いのではないのだろうか。
ともあれメディアアートにとって、大きな挑戦の第一歩が始まったのである。
この経験が、次にどのようなかたちで進歩し、日本から世界に現代美術の表通りに歩めるか期待してゆこうではないか。

TEXT=岡田 智博   yokohama@creativecluster.jp

メディアアートが有望なビジネスにこれからなる。
このような言葉がこの頃、少しずつ聞かれるようになってきた。

「メディアアートの産業化」そのキーワードは、大阪において市が進めている創造都市づくりにおける重要なコンセプトの一つとして語られ、同時に別のかたちで大阪駅の北口巨大開発(北ヤード)におけるコア施設としてメディアアートのミュージアムとビジネス化のためのラボづくりが2013年にオープンするために準備が進められている。
東では、同じく創造都市というコンセプトを抱える横浜市では映像産業都市として都心臨海部-いつも私たちが「これが横浜」と考え、遊びに行く、港沿いのエリア-を整備し、同じくメディアアートの産業化を狙い、何億円もの予算を投入して映像アートのフェスティバルを開催したり、SIGGRAPHというデジタル映像研究者の国際会議を招致したり、企業や教育機関の誘致(東京藝大の先端的なメディアアートやアニメ、映画の大学院が横浜にあるのはその理由)が行なわれている。

広告業界やデザイン業界といったクリエイティブ業界の現場においても、その可能性がにわかに語られ始めている。
広告業界においては、今までの媒体とは異なるコミュニケーションの手法としてアウトオブホームメディアの概念のもと、応用価値の高い技法として注目されているのだ。メディアアートの中核をなすインタラクティブさは、今や現代人の生活に無くてはならないWEBのみならず、屋外広告といったまさに人と広告が直接コミュニケーションすることで驚かせたり、楽しませたり、便利になるというものから、これからのテレビそのものの在りかたすら変える表現をもたらすかもしれないと期待されている。
デザイン業界においては、インタラクティブなテクノロジーによる技法が入ることで、ディスプレイや建築そのものがメディア化したり、インテリアそのものがインタラクティブなものになったり、デザインの視点から映像そのものの使い方や、見せ方そのものが変わるのではないかと期待されている。

このようにメディアアートは、今までの鑑賞するアートであることから飛び越え、映像とインタラクティブなテクノロジーを中心にわたしたちのライフスタイルを変えるものとして期待され、その変化そのものが新たなビジネスチャンスを生むのではないかと考えられているのである。

また「メディアアートブーム」かよ!

これを読んでいるひとの中には「またか!」と思われる方があるかもしれない。

実はメディアアートに対する期待は大体10年に一度のサイクルでこの業界にもたらされ、実際にはその期待どおりに行かずに終わってしまうまるで「はしか」のようなものなのかもしれない。しかし、その「はしか」は、一度かかった人でも最初は強く「過去にもあったらまたかよ」と免疫を持ちながらも、進行するにつれて「今回は違うかも」と感染してしまう不思議なシンドロームであったりする。
今、まさにその約10年ぶりの大流行が起こり始めようとしている。

メディアアートという流行は常に「これからのビジネスになる」という感覚を伴うものによるものなのだが、実際には大きなビジネスとして成功した試しは無く、それがこの流行を沈静化させる原因となっている。

過去にあった流行をみてみるとこのようなものがある:

1990年代中期 マルチメディア流行感染
パソコンにCD-ROMがついたりして、コンピュータが業務用ではなくライフスタイルに入り始めるという期待のもと、マルチメディアを表現するものとしてメディアアートが大流行した。「ハイパーメディアクリエーター」がまさにハイパーな活躍を見せたのがこの時代であり、今やメディアアートのカリスマである岩井俊雄がアミーガで子ども番組を異次元に送り込み、流行り物好きのおとなたちが徹夜後の就寝時間を延ばしたり、早起きしたり、健康か不健康かわからない状況に追い込んだのもこの時代である。この時代に生まれたのがNTT ICCやアルスエレクトロニカセンター(オーストリア)といったメディアアートのミュージアムである。

1980年代中盤 テクノ・サイバー流行感染
バブルに向かう上り坂のこの時代、誰もが果てしない成長を信じていた(ようとしていた)。科学技術の果てにはドラッグをキメなくても、電極を直接つなぐことでエクスタシーを感じたりする時代になると本気で考え、現状のテクノロジーで無理ならと当時の最先端技術である巨大ビジョンやヘッドマウントディスプレイで何とかキメられないかと模索したのもこの時代である。コンピュータグラフィックスがやっと「子ども騙し」も「大人騙し」もできるようになり、インタラクティブなものが少しずつかたちになったこの時代、何か未来を見せてくれるものとして、ビジネスになるかもしれないものとして、メディアアートが大衆(といってもインフルエンサーレベルであるが)に対して最初に本格的に用いられ始めた。河口洋一郎と坂本龍一が同じカルチャーアイコンであった時代である。

このメディアアート流行感染の波が今、始まろうとしている。
しかし、今までの流行症例をみてわかるように、結局はビジネスにならずに長続きはしていない。しかし、それぞれのテクノロジーの成長の中で確実に、これからなるものをいかなるかたちであれ、作品として見せ、コンテンツになってきたことは確かなのだ。
さて、今回はどのようなかたちとなって行くのだろうか?

今、メディアアートが求められている状況は今までとは違う
違いが分からなければやはりただ感染しただけでしかない

私は今回の流行はなかなか行くのではと考えている。
今までの流行と異なり、実際にニーズや人々が求めている欲求とシンクロし始めているからである。何よりもテクノロジーそのものが、作り手が自由に出来る場に存在していることも大きい。
今までの流行においては、それを制作したり、表現したり、オーサリングするためには、特別な機械やソフトウエア、環境が必要であり、いくら90年代とはいえ、アミーガやマックを手にするためにどれだけの金銭的苦労があったかと考えると、誰もが表現の場に立てるという意味におきて一変している。その上に、よりうならせる表現、これからを感じさせてくれる表現を人々も求めており、その点において、まさにメディアアート的なものが潜在的に渇望されているのである。
その一方で、そのようなメディアやテクノロジーを取り巻く環境を理解せず、やみくもに「メディアアートに可能性がある」「メディアアートがビジネスになる」と考え、取り組むことは、何のためのメディアアートなのかという基本的なコンセプトが欠落するため、ただ単に「メディアアートとして評価されているもの」を集め、「既に評価されている人を集めて何かをこなす」だけの場となってしまい、まさしく人々が伴わない流行だけのものとして終わってしまう危うさを秘めている。

メディアによる創造の未来のスタイルを構想する上で、インタラクティブの次をかたちにするために、メディアアートとそれを担う今のつくり手には、流行だけには終わらない、大きな可能性が存在しているのだ。

メディアアートとビジネスのはざまで

2009年(平成21年) 新春レポート

メディアアートが新たなビジネスを密かに生み出しはじめている。
しかし、その流れの中には、メディアアートそのものの可能性を失わす危惧すら現れている。遂にメディアアートがビジネスに動き始めた中で、その現場で生まれつつある問題点をここで明らかにして行きたい。

文=岡田智博 クリエイティブクラスター理事長
yokohama@creativecluster.jp

メディアアートがなぜ顕在化しないのか?

「何かメディアアートを使ってプロモーションが出来ないか?」このような話が、この頃多く聞かれるようになっている。冬の風物詩として絶大な集客力を実現するイルミネーションを始め、OOH(Out Of Home Media)やデジタルサイネージを中心とする新たな広告手段が急速に広がる中で必要とされる、インスタレーション、すなわちまるでアート作品のようなスペクタクルのある、注目される表現が必要とされている。
まさにメディアアートが必要とされる環境が急激に広がり始めているのだ。
その一方で、実際にはこのような屋外や公共空間でのプロジェクトで、メディアアーティストが採用された話はほとんど聞かれていないのではないのだろうか?
しかし、このような新たな広告やエンタテイメント表現をビジネスにする人々の間では、メディアアートの作品の事例を数多く探し求めるリサーチや、展覧会やフェスティバルへの視察が活発になり始めている。いわばメディアアートが、これら新たな広告や空間づくりのためのネタもとになりつつあるのだ。そしてメディアアーティストをスルーして、メディアアートらしき表現が広がり始めている。

メディアアートはパクリのライブラリーか?

例えば、このようなことがある。
企画の参考になりそうな、ネタとなるアーティストに接触し、インタビューをし、その手法をそのまま表現に使ってしまうこと。それどころか、プレゼンまで出してもらったのに、プレゼンの結果をうやむやにした上で、全く類似の表現を使ってしまうことまであったりする。
ある今年の日本における主要なイルミネーションプロジェクトにおいて、まさに普通の人々にまで感動を起こしてきたイルミネーションベースのメディアアートの作品がそのまま作者に関係無く使われてしまったことも実際あったということだ。

Lazer Tag at 2008年の「ヨコハマEIZONE」においてGRLの認定のもと実施された「レーザータグ」また、ニューヨークを拠点に活動するテクノロジーアートグループ「グラフィティリサーチラボ」(GRL) による、レーザー光線で屋外にメッセージを描く「レーザータグ」は、日本におけるストリートカルチャーが好まれるという特殊事情からか、非営利でのデモンストレーションでのみそのノウハウを公開しているにも関わらず、人集めやハプニングのための広告ビジネスの用途として、無断活用どころかパクリが続発しており、何がオリジナルで何がフォロワーで模倣なのか分からないような野放図な状況に置かれている。

※写真は「横浜国際映像祭」に先立って、GRLの認定のもと実施された「ヨコハマEIZONE」でのレーザータグ。「横浜国際映像祭」と「ヨコハマEIZONE」は横浜市が実施している「創造都市政策」的にはつながっているが、全く人材は繋がっていないメディアイベントである。GRL は「横浜国際映像祭」の招待作家に決定している。

優秀なメディアアートの作品の多くは、実現するためにアーティストが独自の技術を開発するため、インスパイア、もとい、模倣をしたくとも実現へのアプローチが難しいものが多い、そのため、メディアアートがそのまま広告やスペクタクルに結びつくことがあまり無かった。そのようなスペクタクルをしたくとも、多くのアーティストにとっては技術面でのコストが高かったり、コスト面を乗り越えて実現したものはまさに高価なスペクタクルであり、ビジネスへの転用が難しかったのであるが、メディアテクノロジーとデバイスの普及とコストの低減によってアーティスト自身によってスペクタクルを簡単に生み出されることが可能になった今、密かなネタもととして「狙われる」ようになったのである。
常に新たな企画と驚きと感動が求められる、広告やスペースビジネスにおいて、メディアアートはネタ元でしかなく、そのネタは隠しておいたほうがいいのかもしれない。だからこそ、メディアアート的な表現を求め、急激に活用されながらも、実際にはメディアアートが実際のものとしてブームとなり、広がることが無いのであろう。
しかし、そのことは得策であるのだろうか?

もっとメディアアートが知られるようにしなければならない

デジタルテクノロジーが社会や生活の中心により一層、コミットする中で、これらから生まれるものごとを逸早く魅力的なものにするメディアアートという存在はより必要なものになる。そのようにより用いてゆかなければならないものを密かな存在とし、目立たないように押し込めてゆくことははたして得策であろうか。
目立たない存在である以上、活動できる場所は限られ、表現における量的なものが制限されてしまう。よりメディアアートをリソースとして求めるなら、もっと量的に活動が目立つようにしなければならないのではないだろうか。量的な広がりは、表現の種類を増やし、活動できるアーティストの数を増やす、そこから生まれたクリエイティブを巡る多様さは、よりメディアアートをより魅力的なものへと発展させることになるだろう。
魅力的なものへの量的かつ質的な発展は、メディアアートをビジネスに用いたい人々にもより魅力的な選択肢をもたらしてくれるとともに、顧客や消費者の理解や関心へと変わり、ビジネスを活性化することになる。
メディアアートをつくる側、広げる側も、このチャンスとその裏腹にある危機をより認識すべきであろう。今、まさに注目され、活動の幅を広げているメディアアーティストに共通するのは、創りだす作品や作業を積極的に様々なジャンルやビジネスに近い人々に伝達する努力を厭わない人々であること。今までのメディアアートとその周辺にある閉じがちな世界から、メディアアートの魅力を求めているであろう、今を生きるより多くの人々に感動してもらえるための努力が、メディアアートがこれからも発展し、生き続けるために求められているのではないのだろうか。

だからとって安易にメディアアートを使えばいいというわけでもない

だからといって、今目の前にあるメディアアートをそのまま使えばいいというわけではない。メディアアートをビジネスに使う、地域づくりに使うという動きにおいて、深く探さないでフィーチャーしたプロジェクトが多々見られる状況が続いている。これは、ネタ探しと同じように安直なこと。いずれにしても、メディアアートに触れる機会が少ないままに、メディアアート的なものが多く生み出される状況は、悪貨が良貨を駆逐するかのように残念でほかならない状況なのだ。
メディアアートに魅力を感じ、表現し、広げたいと、思う私たちや本誌の多くの読者のみなさんにとって、本当に魅力的なメディアアートとその市場を広げるために、より多くの優良なメディアアートをこのようなメディアアートを求める人々にいかに知ってもらい、適切なかたちで活用してもらえるかということが、今、まさにメディアアートが大いに広がりつつあるチャンスの中で本当の発展のために取り組まなければならないことなのである。

◇ この記事に関連して以下のレポートが筆者より著されています
「メディアアートとアートマーケット : 2009年の東京アートマーケットシーズンから考える」
http://creativecluster.jp/2009/05/tokyo-media-art-market-2009.html

 成長を続けるデジタルサイネージの世界。その成長は、ディスプレイのリプレイスメントにとどまらない、アートとしてのクオリティで語られるような「メディアアート広告」とでもいえるような、新たなクリエイティビティを生み出し、多様な姿で都市の中において出現しようとしている。このような様々なかたちのデジタルサイネージの登場は、様々な人が異なるデジタルサイネージの定義やイメージを持っているかのような状況を生み出しつつあり、そのような活発な創造性のあるアイディアや試みが、よりデジタルサイネージのシーンを熱くすることであろう。
 2008年8月6日まで横浜で開催される「エレクトリカルファンタジスタ」(http://fantasista.creativecluster.jp/)では、この新たなシーンに足を踏み入れた、イノベーティブな作家でありプロダクションである存在から、バスキュールWOWチームラボをフィーチャーし、その最新作を実際にアートワークとして投げかけている。

TEXT= 岡田智博

 

広告は四媒体から「サイバーアド」にシフトしている

 このようなデジタルサイネージに対する、クリエイティブ側の高い期待は、現状の日本における広告ビジネスの構造の変化の波と大きくシンクロしているように思われる。
 新聞・雑誌・ラジオ・テレビといった既存のマスメディアにおける「四媒体」といわれる主要な広告メディアにおける広告売上高が、昨年あたりより一方的な落ち込みを見せるようになる一方で、WEBを中心とするインターネット広告の売り上げのみが二桁成長を続けている。斜陽の既存マスメディアの一方で、取って代わる勢いで成長をみせるオンライン広告において、広告プロダクションの役割がかわりつつある。2008年6月にフランスで行なわれた世界最高峰のアドフェスティバル「カンヌ国際広告祭」におけるサイバー広告部門の最高賞をプロジェクターが、ユニクロのインタラクティブキャンペーン「UNIQLOCK」(www.uniqlo.jp/uniqlock/)で受賞したほか、トップの賞をバスキュールなど日本のインタラクティブプロダクションが総なめにする快挙が現出した。ここにある快挙は、そのクリエイティブだけでなく、受賞者の主役が広告代理店ではなく、つくり手であるプロダクションに向けられているということである。
  
 インタラクティブ広告は、サイバースペースという広大な世界の中において、クリエイティビティを武器に広告価値を競い合うものであり、最初から広告枠が決定され、その枠の中での表現を広告代理店が提案し、プロダクションに作らせるという構造がもはや成り立たなくなり始めようとしている。すなわち「続きはWEBで」といっても、その続きのWEBの出来が秀逸でなければ、検索されてもネット上において評判が高いものでなければ生き残れない広告、そのかわりクリエイティビティが秀逸なら、より多くの時間、広告に触れてもらい、そして評判によってより多くの人々が広告に集うという現象が一方では起きるのである。このようなクリエイティビティが、生存価値を規定する環境において、クリエイティブにおける広告代理店とプロダクションの関係が対等、もしくは逆転する状況が生まれているのである。それが顕著に現れたのが、今年のカンヌにおけるプロダクションが主となった受賞発表なのである。
 既にこのような力のあるインタラクティブプロダクションに対して、ときには広告代理店を通さずにクライアント企業が予算を託し、全面的にオンラインでの広告を担わせるような状況も生まれ始めている。

「UNIQLOCK」 (参考資料)

「サイバーアド」の担い手はメディアアートにおける秀逸な人材でもある
そう、エレクトリカルファンタジスタだ。

 このような状況がデジタルサイネージの成長にどのような刺激を与えるかと問われると、それは大いに影響を与えるものであることが確かなのである。
 これらインタラクティブアドにおけるクリエーションは、いかにユーザーが広告サイトにおいて情報を入力し、操作し、体験するかという、まさにソフトウエア上での体験こそがコンテンツである。そのことは、そのまま、キーボードやマウスをセンサーに置き換えたり、携帯電話をコントローラーにしたり、都市のあらゆる挙動を入力系にしてサイネージ上で表出させることが出来るということである。
 これらのプロダクションにおけるクリエイティブな人材は、グラフィックなどの画像映像表現に秀でているだけでなく、プログラミングやネットワークに秀でた存在でもあり、表現と情報処理の両方を収めるメディアアートや情報デザインの教育をバックグラウンドに置いた人材なのだ。すなわち、メディアアーティストの素養を持った人材が、WEBの広告にイノベーションを起こしているのである。それはそのまま、都市の中におけるインタラクティブな関係を現出させられる可能性を持ったデジタルサイネージのフィールドにクリエイティビティの発露を求めることが出来るのである。

TeamLab_JapanBrand2007_web.jpg

 

 

チームラボによるジャパンブランド国際PRのための3D高精細水墨画アニメによる映像ディスプレイ。最終的には壁面を全て高精細な映像世界で埋めることで広告としてのメッセージを情感とともに包み込むことを目標としている。(出展作品ではありません



クロスオーバーかつ最新作を体験できるキュレーティングは
世界の中でもこの夏は「エレクトリカルファンタジスタ」だけ

 これらインタラクティブアドにおけるプロダクションは、デジタルサイネージのフィールドに向けて、様々なかたちで胎動を始めている。ファッションブランドのディスプレイにおいてインタラクティブな映像によるインスタレーションが様々な場所で生まれ始めているのはそのひとつのケースである。また、これらのプロダクションの創造性を顧客に表現するとともに、プロダクションの存在意義を表出させる手段として、独自に制作するアートワークにおいてデジタルサイネージに向けた試みとしてインスタレーションが、様々なかたちで見られるようになってきた。
 このメディアアート展「エレクトリカルファンタジスタ2008」(http://fantasista.creativecluster.jp/)においても、メディアアートの作品としてバスキュール(http://www.bascule.co.jp/)が携帯電話操作によるプレイフルなデジタルサイネージのテストモデルを披露したり、チームラボ(http://www.team-lab.com/)が同じくインタラクティブアートを通じた実験的な作品、そしてWOW(http://www.w0w.co.jp/)によるメディアアートによるグラフィック表現の感動を突き詰めた新作を披露する。
 このようなわくわくするような、デジタルサイネージのクリエイティブイノベーションを体験するため、あとは都市の中のアドのフィールドが開かれるだけなのだ。

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Creative Cluster 2009 Autumn Topics

11月21日 大阪初の「ぺちゃくちゃ」 大阪のど真ん中・大阪市役所ホールで開催
大阪市のシティブランド「クリエイティブストリームOSAKA」立ち上げに協力

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