メディアアートの持つ先見性で、実際に暮らしてゆける空間、楽しめる空間をまるまる一棟のビルで演出したらどのようになるのであろう。そんな実験的な展覧会を私は毎年企画して主催している(岡田智博)
横浜で築80年のビルをまるまる1棟
メディアアートの生活空間にする
まさにその展覧会は7月18日より8月6日まで横浜の都心ど真ん中、横浜球場と中華街にエリアが挟まれた、昔の役所のビルをまるまる一棟ギャラリーにした、日本では珍しいオルタナティブアートスペースで今年は「エレクトリカルファンタジスタ2008」というタイトルで開催する。
今まで、そうはいっても昔の船舶倉庫を改造したミュージアムなど、まだ一棟に足りなかったのだが、今回は一棟である。美術館や多量のお金を使うことができる財団やキャンペーンではなく、独自の企画力で新たなアートのシーンをつくりだそうとするインデペンデントキュレーターとして、自己の企画力をオンリスクで実現できる都市空間は今のところ横浜にしかなく、まさにインデペンデントな存在にまるまる一棟ちゃんとしたスペースを展開させてくれる横浜は創造都市でありすばらしい存在である。
都市の中で「強度のある」メディアアートは
別の世界から
この「エレクトリカルファンタジスタ2008」において、キュレーティングしたものは、都市生活の中で強度のある存在としてのメディアアートとクリエイティビティーである。「強度のある存在」とは、行きずりの人が「まちなか」や「ショップ」などといった都市空間で、強く惹かれ、かつ、行動に移したくなるような、アベレージのある人間にとって好奇心や心動かされるもの、すなわちすぐ触りたくなったり、近づいて見たくなるような存在である。
そのようなスタンスで選んでゆくと、作家はメディアアーティストそのものの存在ではなく、メディアアートやその素養としてのインタラクションデザインの基礎をおさえながらも、広告やプロダクトデザイン、インテリア、建築といった、実際のシーンにおいてまさに「強度のある」仕事をしている人々がほとんどを占める結果となった。実際、そのような現実は、世界の都市のライフスタイルシーンの中における最先端では、起こっていることで、美術館で開催されるどんなメディアアートの展覧会よりも秋に東京で展開される先端デザインの展示会「デザインタイド」の展覧会のほうが短期間に人を集め、「強度のある」インタラクティブな作品を集め、デザインにおけるグローバルなショーケースである「ミラノサローネ」において、最も注目を集めるフレッシュな存在もまたこれらの「強度のある」インタラクティブ作品なのである。それが都市の中での刺激や美しいものとの出会いや体験をフラットに求める
人々を魅了しているのだ。
これはまさに「メディアアート」としてのシーンとは異なるところで豊かな進化が生まれている事態が大きく表出している世界の現実そのものなのである。
METAPHYS susuki =ムラタチアキ(with 有限会社CMMD)
Xbox360のデザイナーが送り出す、関西ものづくり企業とのコラボレーションによる家電であり、インタラクションデザインであり、アート。秋草の光景の如くほのかなる光の照明(新作) http://www.metaphys.jp/
Write-Bulb = 松山淳一
独学で人をよろこばす電子デザインを茶畑の中にある工房で探求してきたオルタナティブな新星。写真の作品は描くことで明かりが点灯する新しい感覚のスイッチ
「デザイン」の必要性に
迫られている
「メディアアート」
このような現実を前にふと考えると、私も含め、様々な人々が持つ「メディアアート」に対するイメージと思い出す作品領域がそれぞれ違っていることに気づく。「メディアアート」の世界からは「メディアアート」といわれていないものを「メディアアート」と誤認している人がほとんどなのかもしれない。
しかし、それは間違っているのではないと筆者は考える。もはや「メディアアート」は、世の中にとって当たり前の表現であり、狭い範疇の中に押し込めておくものではないのだ。
「メディアアート」が「メディアアート」として存在することができた世界、それはメディアアートを専門に扱える学芸員がいるごく一部のミュージアム-日本科学未来館やNTT ICCやYCAMなど、大学や研究機関の最先端映像や技術研究を表現する手段としてのメディアアート-SIGGRAPHを国際論文実績にするための実験的表現に代表される芸術教育が無いのにメディアアートの「殿堂」になっている東京大学などといった、アートではあるが通常、都市の中では普通にお目にかかれない世界である。
しかし、メディアアートの魅力が溢れはじめているのは、より外にある世界の中なのである。
日本におけるメディアアートの批評において、「この作品にある技術は過去にあったものだよね」みたいな言説がよく飛び交うのだが、先端技術を見せる添えものとしてメディアアートがあるわけではなく、メディア化する日常をより創造的に豊かにする存在としてメディアアートへの支持が今あるのではないのだろうか。
例えば「エレクトリカルファンタジスタ2008」の出展作家に、WOWというビジュアルクリエイティブグループが存在する。平素は極めてクオリティの高いモーショングラフィックをTV CMに送り出す仕事をしているが、そのクリエイティビティーを100%知ってもらうために独自の作品を制作し送り出し続けている。例えば、Tengibleという作品はプロジェクションされたオブジェクトが様々なかたちでインタラクティブに動くことによって構成される作品であるが、センサー反応によるインタラクティブ映像としてメディアアートにとっては「やり尽くされた」技法とされている。しかし、WOWによるこの作品は、極めて繊細かつ情緒に溢れたグラフィックスと動きの提示により、被験者がインタラクティブに体験するにつれて美的意識が重層的に高まる、すなわち感動できるレベルにまで高まった存在なのだ。
このように、技術やそこに存在する思考の進歩に追いまくられ、共感できる表現がややもすれば置いてきぼりになった「メディアアート」において、メディア化する都市から「強度のある表現」としてのメディアアートが生まれ始めている。
まさに今「メディアアート」が都市の中で「デザイン」されようとしているのだ。そして、都市生活者が求める感動と支持を得るために、アートでありながら、メディアアートにはデザインが求められ始めているのである。
Tengible = WOW
エレクトリカルファンタジスタでの出展作品ではないがロンドンデザインフェスティバルでの展示の模様。繊細なインタラクティブの物語はヨーロッパの最先端のトレンドを魅了、tomatoのような高付加価値のあるクリエイティブ集団として欧州進出の足がかりをつかんだ。http://www.w0w.co.jp/
Polar Candle = WOW
高精細時代のだまし絵で魅せる美学(新作)